さて、クラスで血糖値自己検査キットをもらってきてそれから一日4回、朝食前と各3食後に検査しています。 ボーダーラインは140以下であること。 たぶん140以上が続くとインスリン投与になるんだと思います。
今のところ、最初の一回が141でそれ以外は140以下におさまっています。
ストレスが溜まると血糖値も上昇するらしいので、最初の一回目のテストはドキドキしてて141だったんだと思う。
朝食は前と変わらずアーロンが作ったものを食べて、二日とも同じ数値で安定しているので朝食は変えなくてもいいことがわかった。 ランチもディナーも炭水化物は食べていいけど少なくしていれば食べたいものがまぁまぁ食べられるので私の気持ち自体も少し落ち着いてきた。午前中も午後もスナックしてもいいから、炭水化物にカウントされない野菜スティックやかたゆで卵などを食べてからカウントされるものを大事に食べる…て感じです。 体重は妊娠した時より少し少なくなって安定中。
やっぱり運動するとまるで血糖値の上昇の仕方が違うので、産後はまた本格的に5Kランナー目指してトレーニングを始めようと思う。
昨日、検査キットについてきたサンプルがなくなりそうだったのでウォルマに買い足しに行ったら、針と測定器に挿す小さなチップを買っただけで40ドルになってしまいました。 チップがすっごい高くて、たった5日ぶんくらいで30ドル 私が大事に持っていた義父母からいただいたバースデーマニーはこんなアホなことに消えていきました。
不健康とはいかに金がかかってストレスになるかまた目の当たりにした今日この頃。 自分の不摂生、無知のためにこんな結果になったわけですからしょうがないのですが、この機会にまたいろいろ勉強して生活改善していかないとと決意した糖尿妊婦るみでありました。 これもまた無学な私に神様が与えてくれていたよい機会と思い、前向きに旦那と歩いていこうと思います。
さて、今日のディナーは何にしようかな。 おいしい野菜が庭から、マーケットから手軽に手に入る夏に糖尿妊婦となったことだけはよかったかな。冬だったら何するのも億劫だし、野菜も栄養価の少ない遠くから来るものばかりになっちゃっただろうからね。
こんな状態でも、神様が近くにいて、支えてくれる旦那や友達がいることに本当に感謝。
2011年8月11日木曜日
糖尿妊婦日記 その1 7月29日
昨日いきなり病院から電話があり火曜日(今日の)妊娠糖尿病クラスに来なさいとのこと。 ということで行ってきました。
朝っぱら8時から始まったんだけど、ナースと一対一で病歴や生活習慣について質問され、その後クラス形式で他の糖尿妊婦たちと下記の項目順に講習を受けました。
妊娠糖尿病とは
血糖値の測り方
インスリンが必要になった時の為の自己投与のしかた
栄養指導
最初の項目で妊娠糖尿病又は2型糖尿病のリスクファクターをスクリーンに出された時は、たくさんあてはまっていることに納得。 まぁしょうがないよね。 せめて2型にならないようにこれから気をつけないとと思います。
祖母はどちらも糖尿病だったし、アジア人は白人よりも糖尿病になりやすいもともとの体質がある。 体重も理想体重をはるかに超えているし なるべくしてなったと言うべきか…。
だいたい毎日食べるものを箇条書きにして、栄養士の人に渡したんだけどやっぱりアジア人ということで、一回の食事に食べる米の摂取量が多いとのこと。 玄米だろうが白米だろうが炭水化物の過剰摂取はよくありません、ってことでご指導いただきました。 一度に食べるご飯の量に注意をしつつ、おかず中心にしましょうということでした。
実は先週木曜日に連絡を受けてから、自分でいろいろ調べて糖質制限食をしていたんだけど、あまりにも炭水化物摂取量を制限していたので「な~んだ、もっと食べていいのか」と少し気が楽に
でもでも、一日4回、朝起きてすぐ、3度の食事の1時間後に血糖値を自己検査しないといけないので、それで糖が基準より出ていれば糖分、炭水化物量を調整しないといかんということです。
こんなの一生やるなんて絶対嫌なので、出産まであと2ヶ月ちょっと(もう妊娠8ヶ月で後期に入っちゃいました)、がんばっていこうと思います。
ストレスも血糖値に影響するっていうんで、ストレス溜めないようにしなくちゃだ。 せいちゃんのことと、自分のことでいろいろ大変だけど前向きにいくど~。
栄養指導は炭水化物のカウント方法くらいは参考にして、あとは甘味料とかやっぱりスプレンダ勧めてきたので却下。 他にも納得いかない説明とかあったのでそれは聞かなかったことにする。 だって、冷凍食品とかカロリーカウントが簡単だから勧めてきたりするんだもん。 家でのお料理のこととかじゃなくて、「いかに簡単にカロリー計算をして、食事をするか外食するか」みたいなほうがメインだったんだよね。 さすがそこはアメリカというしかないか…。
クラスを受けてたみなさんはみんな私よりご立派な体格の人ばかりでした。中にはもうインスリン投与してる人もいるって聞いてびっくり!
精進しよう。
アーロンは朝仕事を休んで一緒にクラスに出てくれました。 誰かがそばにいるだけで本当に心強いです。 「なってしまったことを悔やまずに、これからのことを考えて一緒にがんばろう」と言ってくれた旦那に感謝です。
朝っぱら8時から始まったんだけど、ナースと一対一で病歴や生活習慣について質問され、その後クラス形式で他の糖尿妊婦たちと下記の項目順に講習を受けました。
妊娠糖尿病とは
血糖値の測り方
インスリンが必要になった時の為の自己投与のしかた
栄養指導
最初の項目で妊娠糖尿病又は2型糖尿病のリスクファクターをスクリーンに出された時は、たくさんあてはまっていることに納得。 まぁしょうがないよね。 せめて2型にならないようにこれから気をつけないとと思います。
祖母はどちらも糖尿病だったし、アジア人は白人よりも糖尿病になりやすいもともとの体質がある。 体重も理想体重をはるかに超えているし なるべくしてなったと言うべきか…。
だいたい毎日食べるものを箇条書きにして、栄養士の人に渡したんだけどやっぱりアジア人ということで、一回の食事に食べる米の摂取量が多いとのこと。 玄米だろうが白米だろうが炭水化物の過剰摂取はよくありません、ってことでご指導いただきました。 一度に食べるご飯の量に注意をしつつ、おかず中心にしましょうということでした。
実は先週木曜日に連絡を受けてから、自分でいろいろ調べて糖質制限食をしていたんだけど、あまりにも炭水化物摂取量を制限していたので「な~んだ、もっと食べていいのか」と少し気が楽に
でもでも、一日4回、朝起きてすぐ、3度の食事の1時間後に血糖値を自己検査しないといけないので、それで糖が基準より出ていれば糖分、炭水化物量を調整しないといかんということです。
こんなの一生やるなんて絶対嫌なので、出産まであと2ヶ月ちょっと(もう妊娠8ヶ月で後期に入っちゃいました)、がんばっていこうと思います。
ストレスも血糖値に影響するっていうんで、ストレス溜めないようにしなくちゃだ。 せいちゃんのことと、自分のことでいろいろ大変だけど前向きにいくど~。
栄養指導は炭水化物のカウント方法くらいは参考にして、あとは甘味料とかやっぱりスプレンダ勧めてきたので却下。 他にも納得いかない説明とかあったのでそれは聞かなかったことにする。 だって、冷凍食品とかカロリーカウントが簡単だから勧めてきたりするんだもん。 家でのお料理のこととかじゃなくて、「いかに簡単にカロリー計算をして、食事をするか外食するか」みたいなほうがメインだったんだよね。 さすがそこはアメリカというしかないか…。
クラスを受けてたみなさんはみんな私よりご立派な体格の人ばかりでした。中にはもうインスリン投与してる人もいるって聞いてびっくり!
精進しよう。
アーロンは朝仕事を休んで一緒にクラスに出てくれました。 誰かがそばにいるだけで本当に心強いです。 「なってしまったことを悔やまずに、これからのことを考えて一緒にがんばろう」と言ってくれた旦那に感謝です。
糖の負荷検査 7月22日
不合格でした~ ということで、「妊娠糖尿病患者」のタイトルを見事獲得~
まぁしょうがない。 こういう結果になってしまった以上、自分のため、息子のために食事制限がんばりますぅ。
せいちゃんのアトピーの食事のことでいろいろ頭を悩ませている時なので、さらに頭がごちゃごちゃになって白髪と皺が増えそうな予感…。
確かに今回の妊娠は、せいちゃんの時のようにあまり食生活に気をつけていなかったのよね。 せいちゃんの時は甘いものは食べたいものを皿に取って、それを半分だけ食べたりしてた。 外食しても毎回半分残したりしてたんだけど、今回は増えない体重をいいことに、ジャンクフードは食べなくても他のものを大いに食べていたもん。 自分で招いた結果ですから、自分でなんとかするしかないねぇ。 まして、息子のこれからの健康も私の行動次第…となると責任重大。
インスリンなんて打ちたくないので心を引き締めてこの3ヶ月がんばろうと思います。 とは言うものの、とっても不安。
皆様私の心が強くいられるようお祈りよろしくです。
ここ1週間で体重が減り、妊娠前に戻ってしまいました。 食事制限していったら3ヵ月後には体重がもっと減っているんじゃなかろうか…。それはそれでうれしいけど、あぁ、食べたかったAndy'sも秋までおあずけなんて悲しすぎる。 大好きな炭水化物ともしばしお別れか…。 一生お別れするよりはましだ。 そうだ、3ヶ月がんばるんだ(自分を奮い立たせている…つもり)。
が…がんばれ、私!!!!
まぁしょうがない。 こういう結果になってしまった以上、自分のため、息子のために食事制限がんばりますぅ。
せいちゃんのアトピーの食事のことでいろいろ頭を悩ませている時なので、さらに頭がごちゃごちゃになって白髪と皺が増えそうな予感…。
確かに今回の妊娠は、せいちゃんの時のようにあまり食生活に気をつけていなかったのよね。 せいちゃんの時は甘いものは食べたいものを皿に取って、それを半分だけ食べたりしてた。 外食しても毎回半分残したりしてたんだけど、今回は増えない体重をいいことに、ジャンクフードは食べなくても他のものを大いに食べていたもん。 自分で招いた結果ですから、自分でなんとかするしかないねぇ。 まして、息子のこれからの健康も私の行動次第…となると責任重大。
インスリンなんて打ちたくないので心を引き締めてこの3ヶ月がんばろうと思います。 とは言うものの、とっても不安。
皆様私の心が強くいられるようお祈りよろしくです。
ここ1週間で体重が減り、妊娠前に戻ってしまいました。 食事制限していったら3ヵ月後には体重がもっと減っているんじゃなかろうか…。それはそれでうれしいけど、あぁ、食べたかったAndy'sも秋までおあずけなんて悲しすぎる。 大好きな炭水化物ともしばしお別れか…。 一生お別れするよりはましだ。 そうだ、3ヶ月がんばるんだ(自分を奮い立たせている…つもり)。
が…がんばれ、私!!!!
2011年8月6日土曜日
育児日記 アトピー その2
7月上旬にひどいアトピーを患っている子供を持つ親と偶然お話しする機会が与えられました。
昨日市内のホームストアにガーデニング用品を買いに行きました。
加湿器でいいのがないか、冬までに買えるようリサーチをしようとついでにそれも見てみた。 夏ってことで品数はなかったけど、性能がいいやつは一年中置いているということで、それを見てみた。
親切に教えてくれた店のスタッフが、自分の4歳の息子がアトピーっ子で彼の部屋で使っているという加湿器を勧めてくれた。
うちの娘もアトピー持ちだという話をし、彼がどんな風に息子さんのお世話をしているのかを聞いてみた。
3歳くらいから背中をかきはじめたという息子さん、それからどんどんいろんなところがかゆくなり、4歳になったいまでは足の裏以外肌荒れがない場所はないそうで…。 聞いていてかわいそうで涙が出そうになりました。
家の中の空調ダクトからカーペットからすべてプロフェッショナルに頼んでクリーニングしてもらい、みんなが使う身の回りの洗剤やクリーニング剤すべてを自然のものに変え、彼の食事はすべてアレルゲンのないものになっていて、できるだけオーガニック食材を使っているんだって。
とりあえず乾燥しないように、湿度をよくチェックして、肌に負担のない衣服を着せ、スキンケアを念入りにしていると言ってました。
この一年間でアトピー改善のために膨大な費用がかかったそうです。 だから週日の仕事とは別に土日はこのホームストアで働いているんだとこのスタッフが言ってました。 奥さんは家で息子のケア。 ホームスクールにするつもりだそうです。 奥さんが使っていた香水やシャンプー等にも反応するらしく、奥さんは香水使用をやめ、シャンプー等すべて自然のものに変えたそうです。
海があれば一番いいんだけど、50パウンドのシーソルトをカリフォルニアから取り寄せて、それで毎日息子さんは海水バスをしているそうな。 それが一番肌に効くんだって。 私も小さい頃は虫指されや汗疹があるときなんか「海に入れば治る!」なんて言われて海水浴してたもんです。
海のないアメリカのど真ん中にいる自分が悲しくなりました笑。
せいちゃんがそこまでの状態にならないといいなぁと願いつつ、このスタッフさんから聞いたいことを参考にしてせいちゃんのケアにあたりたいと思います。 私もずいぶん前に香水を使うの辞めてたし、ヘアケアも体もスイートアーモンドオイルだけでやってるのでせいちゃんに負担になるものはつけていないと思うけど、メイク用品はすべて自然のものではないし、足の爪だけは塗っておかないとちょっとおかしいし、石油製品が含まれていないマニキュアはノリももちも悪かったんだよねぇ。
せいちゃんのためには仕方がないのか…。
娘よ~、共にがんばろう! だからローションつける時に逃げないでくれ~!!!
昨日市内のホームストアにガーデニング用品を買いに行きました。
加湿器でいいのがないか、冬までに買えるようリサーチをしようとついでにそれも見てみた。 夏ってことで品数はなかったけど、性能がいいやつは一年中置いているということで、それを見てみた。
親切に教えてくれた店のスタッフが、自分の4歳の息子がアトピーっ子で彼の部屋で使っているという加湿器を勧めてくれた。
うちの娘もアトピー持ちだという話をし、彼がどんな風に息子さんのお世話をしているのかを聞いてみた。
3歳くらいから背中をかきはじめたという息子さん、それからどんどんいろんなところがかゆくなり、4歳になったいまでは足の裏以外肌荒れがない場所はないそうで…。 聞いていてかわいそうで涙が出そうになりました。
家の中の空調ダクトからカーペットからすべてプロフェッショナルに頼んでクリーニングしてもらい、みんなが使う身の回りの洗剤やクリーニング剤すべてを自然のものに変え、彼の食事はすべてアレルゲンのないものになっていて、できるだけオーガニック食材を使っているんだって。
とりあえず乾燥しないように、湿度をよくチェックして、肌に負担のない衣服を着せ、スキンケアを念入りにしていると言ってました。
この一年間でアトピー改善のために膨大な費用がかかったそうです。 だから週日の仕事とは別に土日はこのホームストアで働いているんだとこのスタッフが言ってました。 奥さんは家で息子のケア。 ホームスクールにするつもりだそうです。 奥さんが使っていた香水やシャンプー等にも反応するらしく、奥さんは香水使用をやめ、シャンプー等すべて自然のものに変えたそうです。
海があれば一番いいんだけど、50パウンドのシーソルトをカリフォルニアから取り寄せて、それで毎日息子さんは海水バスをしているそうな。 それが一番肌に効くんだって。 私も小さい頃は虫指されや汗疹があるときなんか「海に入れば治る!」なんて言われて海水浴してたもんです。
海のないアメリカのど真ん中にいる自分が悲しくなりました笑。
せいちゃんがそこまでの状態にならないといいなぁと願いつつ、このスタッフさんから聞いたいことを参考にしてせいちゃんのケアにあたりたいと思います。 私もずいぶん前に香水を使うの辞めてたし、ヘアケアも体もスイートアーモンドオイルだけでやってるのでせいちゃんに負担になるものはつけていないと思うけど、メイク用品はすべて自然のものではないし、足の爪だけは塗っておかないとちょっとおかしいし、石油製品が含まれていないマニキュアはノリももちも悪かったんだよねぇ。
せいちゃんのためには仕方がないのか…。
娘よ~、共にがんばろう! だからローションつける時に逃げないでくれ~!!!
育児日記 アトピー
さて、新居に越してから4ヶ月目になります。
私は春のアレルギーだと思っていたのが、実は新居のハウスダストのせいでひどいアレルギーだったということがわかり、フィルターをいいやつに代えたら改善してしまいました。掃除をちゃんとやっているつもりでも、完成前の埃などはダクト内に溜まっていたりしてのが取りきれるわけもなく、それが全館空調でずっと家中に回っていたんだと思います。 起きている時は鼻水が止まらず、鼻の粘膜は荒れ荒れで、横になると鼻が詰まっての毎日から開放されて本当にうれしい。
しかし、せいちゃんもたぶん新居の何かに反応しているのか、ここ数ヶ月でアトピーっ子になってしまい毎日のケアが大変です。新しいカーペットの化学物質とかかなぁと思っていますが、新居に越してから私がパン作りが楽しくなってきてせいちゃんの小麦粉の摂取量が急に増えてしまったからかもしれないとも思い、それも気をつけています。
アトピー肌に特有の膝や肘の裏の皮膚が丸く赤く腫れてたり、首の周りもかゆそうでかわいそうです。
親がアトピーでなくても、親に何かのアレルギー(食物アレルギーや花粉症)等があると、子供に何かの形でアレルギー体質というものが遺伝してるらしく、せいちゃんの場合アトピーとなって出てしまったようです。
医者から勧められた薬やクリームにはすべてあやしい薬品が入っているので、それは取り入れずになるべく自然療法で行くことにしました。 乳酸菌は前からちゃんと取らせていたので、それを続け小麦粉摂取量を減らし、パン作りはほどほどに、低グルテンまたはグルテンフリーの材料を使い始めました。 ずっと低グルテン生活はしていたけれど、やはり高くつくのと、パンを焼いた時の出来がいいので普通の小麦粉も最近は使っていたのですがそれも今はストップ。 おやつのクラッカーやクッキーも小麦粉が含まれていないものに変えました。 私が作るシナモンロールが大好きなせいちゃん(ぐるぐるパンと呼びます)ですが、一日の小麦摂取はそのシナモンロール一個だけにして1週間経ちました。
アーロンが通う鍼灸院で勧められた漢方薬と、偏食せいちゃんの栄養面を補うためにビタミン・ミネラルサプリを飲ませ始めました。
お風呂に入るときはオートミールを入れたものですませ、牛乳があればそれもバスに投入。その後カモミールティーをお肌に塗って、それからクリーム、でオイルの順でスキンケアです。その他朝から晩まで痒がったり、肌が乾燥してきたらすぐにスキンケア。 いやがるせいちゃんを追いかけながらなので、身重の私には一苦労です。
食生活を変えてすぐに変化があったのは彼女のうんちの状態。汚い話で悪いけど、うんちは健康のバロメーターだからね。 どんなうんちをせいちゃんがするかというのは私にはとても大事なんだよね。 小麦粉製品を控えたら、毎日うんちがでても1回硬目のをする感じだったり、二日おきに苦しそうに出したりしていたのが、今は多い時には一日3回、しかも力まずにすんなり硬くも柔らかくもない良い感じのがモリモリ出るようになりました。3回でなくてもだいたい2回は出る。 それで皮膚の状態はまだ変わってないけど、それだけうんちに変化があったということは、彼女はグルテンの取りすぎだったことがよくわかった。それにそんなに出てるってことは彼女の体内のデトックスにもなっているはず。
ロフトのカーペットのシャンプーを計画しているけれど、なかなかお客が来たり忙しかったりでやってない。 それをまずやらないことには、食事に反応しているのか化学物質に反応しているのかわからないから、早くやらなくちゃだ。
昨日は私が掃除の仕事と日本人友達との聖書を読む会があったんだけど、せいちゃんを一日義母に預けた。ありがたいことに義母は本当に理解があって、私たちの方針を尊重してくれる。 「そんな小麦粉ちょっとくらい大丈夫よ~」なんてあしらわずに、一日せいちゃんにはカモミールティーを飲ませ、グルテンフリーのクッキーをせいちゃんと二人で作り、最後にはオートミールバスをやってくれた。 旦那は選べても、その家族は選べない。 神様が私のために用意してくれた旦那にはちゃんとした信仰をもった、すばらしい家族がいた。 本当にありがたいことです。
話は飛びましたが、高校の時のクラスメートがアトピー持ちで、寝る時はかかないように手を縛ったり、手袋をはめて寝たり、かきやすい患部を包帯で覆ったりしていたと言っていた事を思い出し、夕べはせいちゃんの肘にガーゼをまいてそれから包帯をしてみました。 効果があるといいんだけど、夜中かいている様子はなかったから大丈夫かも。
しばらくアトピーとの闘いが続きそうです。 かわいいお顔が引っかき傷で台無しになってしまうので、早く治ってほしいです。
そうそう、何が大変って教会の子供クラスが大変。 日曜日は9時半からせいちゃんは自分のクラスに行き、私は赤ちゃんクラスでヘルプに入り、アーロンは自分のクラスに行っていますが、子供クラスには後半おやつの時間があるのです。 先生がめいめい何か用意してるみたいなんだけど、それが健康にいいものなんて一つもなく、着色料たっぷりのアメやスナックの時もあれば、クッキーやマフィンの時もある。 でもどんなものにも対外精製されすぎた小麦粉って入っているもんで、大体朝ご飯ちゃんと食べてくれば朝のおやつなんていらないだろうに、と思うんだけどそういうものがクラスで出されるので、私たちは自分たちでせいちゃんのおやつを用意していきます。 そのクラスの先生やヘルプに入る人たちの理解を得て、徹底してこっちの指示に従ってもらうことの難しいこと。 そりゃ、せいちゃんもみんなが食べているものがほしいから先生にお願いします。 でもそこで折れてもらっては困るのよね~。 何回やんわりと頼んだか知れない。大丈夫な日もあれば、そうでない日もあり… こっちは怒るわけにもいかず、何度も何度も言う。 アトピーが出る前からおやつは与えないように、私たちが用意したものだけを与えるようにお願いしてきたけど、アトピーが出てやっと強くこっちも言ったのでへんなモノを与えられることはなくなった。 はぁ。
だいたいなんで、体に悪いチープなお菓子を子供に与えるかな…。 教会保険業やってると、そういうことでアレルギー反応起こして教会が訴えられたとかそういうことも聞くから、考えなしに教会で食べ物を与えるのはうちらからみればタブーなんだけどねぇ。 クラスの先生たちは、子供にお菓子を与えることに喜び感じてるからな。 アメリカ人の悪い食生活は教会内にも浸透しているわ…笑。
私は春のアレルギーだと思っていたのが、実は新居のハウスダストのせいでひどいアレルギーだったということがわかり、フィルターをいいやつに代えたら改善してしまいました。掃除をちゃんとやっているつもりでも、完成前の埃などはダクト内に溜まっていたりしてのが取りきれるわけもなく、それが全館空調でずっと家中に回っていたんだと思います。 起きている時は鼻水が止まらず、鼻の粘膜は荒れ荒れで、横になると鼻が詰まっての毎日から開放されて本当にうれしい。
しかし、せいちゃんもたぶん新居の何かに反応しているのか、ここ数ヶ月でアトピーっ子になってしまい毎日のケアが大変です。新しいカーペットの化学物質とかかなぁと思っていますが、新居に越してから私がパン作りが楽しくなってきてせいちゃんの小麦粉の摂取量が急に増えてしまったからかもしれないとも思い、それも気をつけています。
アトピー肌に特有の膝や肘の裏の皮膚が丸く赤く腫れてたり、首の周りもかゆそうでかわいそうです。
親がアトピーでなくても、親に何かのアレルギー(食物アレルギーや花粉症)等があると、子供に何かの形でアレルギー体質というものが遺伝してるらしく、せいちゃんの場合アトピーとなって出てしまったようです。
医者から勧められた薬やクリームにはすべてあやしい薬品が入っているので、それは取り入れずになるべく自然療法で行くことにしました。 乳酸菌は前からちゃんと取らせていたので、それを続け小麦粉摂取量を減らし、パン作りはほどほどに、低グルテンまたはグルテンフリーの材料を使い始めました。 ずっと低グルテン生活はしていたけれど、やはり高くつくのと、パンを焼いた時の出来がいいので普通の小麦粉も最近は使っていたのですがそれも今はストップ。 おやつのクラッカーやクッキーも小麦粉が含まれていないものに変えました。 私が作るシナモンロールが大好きなせいちゃん(ぐるぐるパンと呼びます)ですが、一日の小麦摂取はそのシナモンロール一個だけにして1週間経ちました。
アーロンが通う鍼灸院で勧められた漢方薬と、偏食せいちゃんの栄養面を補うためにビタミン・ミネラルサプリを飲ませ始めました。
お風呂に入るときはオートミールを入れたものですませ、牛乳があればそれもバスに投入。その後カモミールティーをお肌に塗って、それからクリーム、でオイルの順でスキンケアです。その他朝から晩まで痒がったり、肌が乾燥してきたらすぐにスキンケア。 いやがるせいちゃんを追いかけながらなので、身重の私には一苦労です。
食生活を変えてすぐに変化があったのは彼女のうんちの状態。汚い話で悪いけど、うんちは健康のバロメーターだからね。 どんなうんちをせいちゃんがするかというのは私にはとても大事なんだよね。 小麦粉製品を控えたら、毎日うんちがでても1回硬目のをする感じだったり、二日おきに苦しそうに出したりしていたのが、今は多い時には一日3回、しかも力まずにすんなり硬くも柔らかくもない良い感じのがモリモリ出るようになりました。3回でなくてもだいたい2回は出る。 それで皮膚の状態はまだ変わってないけど、それだけうんちに変化があったということは、彼女はグルテンの取りすぎだったことがよくわかった。それにそんなに出てるってことは彼女の体内のデトックスにもなっているはず。
ロフトのカーペットのシャンプーを計画しているけれど、なかなかお客が来たり忙しかったりでやってない。 それをまずやらないことには、食事に反応しているのか化学物質に反応しているのかわからないから、早くやらなくちゃだ。
昨日は私が掃除の仕事と日本人友達との聖書を読む会があったんだけど、せいちゃんを一日義母に預けた。ありがたいことに義母は本当に理解があって、私たちの方針を尊重してくれる。 「そんな小麦粉ちょっとくらい大丈夫よ~」なんてあしらわずに、一日せいちゃんにはカモミールティーを飲ませ、グルテンフリーのクッキーをせいちゃんと二人で作り、最後にはオートミールバスをやってくれた。 旦那は選べても、その家族は選べない。 神様が私のために用意してくれた旦那にはちゃんとした信仰をもった、すばらしい家族がいた。 本当にありがたいことです。
話は飛びましたが、高校の時のクラスメートがアトピー持ちで、寝る時はかかないように手を縛ったり、手袋をはめて寝たり、かきやすい患部を包帯で覆ったりしていたと言っていた事を思い出し、夕べはせいちゃんの肘にガーゼをまいてそれから包帯をしてみました。 効果があるといいんだけど、夜中かいている様子はなかったから大丈夫かも。
しばらくアトピーとの闘いが続きそうです。 かわいいお顔が引っかき傷で台無しになってしまうので、早く治ってほしいです。
そうそう、何が大変って教会の子供クラスが大変。 日曜日は9時半からせいちゃんは自分のクラスに行き、私は赤ちゃんクラスでヘルプに入り、アーロンは自分のクラスに行っていますが、子供クラスには後半おやつの時間があるのです。 先生がめいめい何か用意してるみたいなんだけど、それが健康にいいものなんて一つもなく、着色料たっぷりのアメやスナックの時もあれば、クッキーやマフィンの時もある。 でもどんなものにも対外精製されすぎた小麦粉って入っているもんで、大体朝ご飯ちゃんと食べてくれば朝のおやつなんていらないだろうに、と思うんだけどそういうものがクラスで出されるので、私たちは自分たちでせいちゃんのおやつを用意していきます。 そのクラスの先生やヘルプに入る人たちの理解を得て、徹底してこっちの指示に従ってもらうことの難しいこと。 そりゃ、せいちゃんもみんなが食べているものがほしいから先生にお願いします。 でもそこで折れてもらっては困るのよね~。 何回やんわりと頼んだか知れない。大丈夫な日もあれば、そうでない日もあり… こっちは怒るわけにもいかず、何度も何度も言う。 アトピーが出る前からおやつは与えないように、私たちが用意したものだけを与えるようにお願いしてきたけど、アトピーが出てやっと強くこっちも言ったのでへんなモノを与えられることはなくなった。 はぁ。
だいたいなんで、体に悪いチープなお菓子を子供に与えるかな…。 教会保険業やってると、そういうことでアレルギー反応起こして教会が訴えられたとかそういうことも聞くから、考えなしに教会で食べ物を与えるのはうちらからみればタブーなんだけどねぇ。 クラスの先生たちは、子供にお菓子を与えることに喜び感じてるからな。 アメリカ人の悪い食生活は教会内にも浸透しているわ…笑。
2011年7月24日日曜日
The 4th of July Weekend
先週末は忙しくも楽しいホリデーウィークエンドでした~
私たちが家族ぐるみでお付き合いしているカン一家がオクラホマから遊びに来てくれました。 アーロンが日本に英語講師としてきた時に、チャリティは英語講師2年目でそこからのお付き合い。 私も高校の時に教会に行き始めてからの関係。 その後マークが来て、チャリティとマークは日本で出会い、確か私たちと彼らは同じ年に結婚したはず…。 日本で英語講師したり、はたまた結婚してからは中国へ渡り孤児院で働いたりした彼らは、すてきな私たちのお友達。
マークとアーロンは全然タイプが違うけど、日本での生活の中でよい友情を築くことができて、それから離れて暮らしていてもとても仲がよい。男の人ってなかなか心を開けずすごく仲のいい友達って少ないと思うんだけど、アーロンにはマークがいて本当によかったなぁと思うのです。
同じ時間を日本で共有した友達はとても大事。 お互い理解し合えて、私も本当に彼らの存在に感謝。 私がここにいるからこそ持つ悩みを、「日本人のいずみだからじゃない、僕らも同じこと思ってるよ」とわかってくれて、共感してくれる。そういう人たち。
お友達に感謝。 私たちをめぐり合わせてくれた神様に感謝。
カン一家が我が家に泊まりに来た初めてのお客様でしたが、私は気合入れすぎて疲れてしまった。 アジアで暮らした彼らに別に食事とか気を使う必要なかったから助かったけど。皿洗いや、次の食事までにキッチンをきれいにして!とかいろいろやってたら疲れたんだな。 まぁもてなすってこんなことよね。 アーロンママがいっつも段取りよくお客をおもてなしする見ててよかったけど、同じようにやろうと思ったら疲れた笑。
お好み焼きや、キムチチャーハンもうまいうまいと食べてくれたし、土曜日はアーロンとマークでグリルして手作りアイスクリームも作ってくれた。
彼らの5歳の息子とせいちゃんと同じ年の娘は、せいちゃんと仲良く遊んでくれたし、いい子達だったし、本当に楽しい週末だったなぁ~と未だ余韻に浸っております。 金曜の夜から月曜の朝まで滞在した後、彼らはブランソンへ旅立って行きますた~。
次はいつ会えるかな~。 また遊びに来てくれないかな~
画像1: アーロンとマークの合作アイスクリームと、私のブルーベリー&ブラックベリーカーブラ 一緒に食べると美味~。
画像2:仲良く遊ぶ~。
画像3:お決まり記念撮影。 せいちゃんとCourageは3回トライしてどれも舌出してます。
2011年7月10日日曜日
クリスチャンになって12年目の証
5月31日は旦那の誕生日でしたが、私がクリスチャンになった記念日でもありました。 ここ数週間考えていたことを証として残したいと思います。
6月始めの水曜夜の聖書クラスで、うちの教会の牧師のトニーがレッスンをリードしてくれた。 ある無宗教者かアンチキリスト者かのブログをトニーが読んでいて、このブログの著者は「キリスト教者はクレイジーだ」とか「聖書を信じるなんてナンセンス」だと非難していたそうだ。 どうして信じないか、どうしてそう思うかという著者のTheoryは読んでいてとても内容が薄く、説得力があるものではなかったそうだが、明確な理由なしでキリスト教を批判する人は50年前と比べてもかなり増えている、と言われている。 世の中が「我よければすべてよし」的な風潮に動いているからかもしれない。 そんな世の中でどう伝導していくべきなのか、クリスチャンとしてどうあるべきかということを話し合った。 そして14年前、創世記の話を大真面目に本当だ、と力説されて一笑に付した自分を思い出した。 高校生だった時、初めて聖書というもの自体に触れた。 受講費500円でネイティブと英会話ができると聞き、こんないい話はないと思って教会に行き始めた高校2年の秋、私の先生となったクリスティーナがどのようにこの世が創られたのか、最初の人間アダムからイブが作られたとか言われて、自分もまた「この人たちはこんな科学的根拠のないものを大真面目に信じているのか…」とショックに思い(その時は知らなかったけど、聖書は科学的にもたくさんの裏づけがある) 、またキリスト教は理解できない…と思ったものだった。
「私はキリスト教は必要ない」と言う人は、結局他の何のどの宗教に対しても必要ないと言っているような気がする。 「神」という自分以外の存在に自分をコントロールされたくないと漠然と思うのかもしれない。 誰かからいつも指図されているような気がするのかもしれないし、人は他人からでも命令されることは基本嫌いなものだから。 自分をコントロールするのは自分でいたいと思うのは人間の本質だ。
日本では多神教崇拝が一般的だが、季節ごとの行事等をちゃんと行い、その時々に違う神仏に拝んでもその神仏たちと人間との関係は薄いな、と思ってしまう。その関係がどうも一方通行のように思えてならない。 これは私がまだ聖書をしらなかった時から思っていたことだ。 何か人間にとって都合の良い感じがするのだ。 何か願う時だけ神様に祈り、叶っても叶わなくてももともと大した思いがその神にあるわけではないので、感謝も落胆もない。 キリスト教の神のように私たちへ聖書を通して事細かく人間の生きる目的、望ましい生き方そのものを語りかけてこないから。 いや、仮に日本の神々たちがキリスト教の神のようだったとしても、少なくとも日本の一般家庭では自分が拝む対象をもっとよく知ろうだとか、子供になぜこの神仏を崇拝するのか(崇拝ではなくとりあえず拝むのか)という深い教育はなされない。
喜んで正月等にお参りに行くのは、そのムードに呑まれて?習慣で?みんなが行くから?本当は恐れから? お参りに行かないよりは行っておいた方が良いから? 結局はそうなると神様に敬意を示すためではなく、護身のためということになるのか?
一般的な日本人の感覚だと、どの神に祈っても同じだから(ご利益の話は別として)、正月は神社で、又は初日の出に拝み、盆は先祖に拝み、厄除けにまたどこかの神社に拝みに行き、小さな1年有効の神様を買う。子供が生まれたら神社へお宮参りに行き、結婚式はキリスト教式、死ぬ時は仏教式となんでもあり。 でもここにキリスト教の神を入れるのはひどく間違っているし、ほとほとおかしい。
なぜならキリスト教の神は、偶像崇拝や多神教崇拝を認めないからだ。ご利益があればどこへでも行ってその神様とやらを拝む人間が、結婚式のムードつくりのためにキリスト教式の式をあげようとしたとろこで、この本物の神はその人たちに祝福をあげたくてもできないのだ。 そして当の人間はそんなことどうでもいいと思っているし、たぶん何も深く考えていない。
日本で言う宗教行事や習慣を、ただ何も考えずそれだけやっていて幸せになれるのだとしたら、信仰なしにその行動は意味を成すのだろうか。「やることに意義がある」と言う人がいたらそれはただの自己満足だ。 そんな態度で拝まれた神様方が喜ぶのだとしたら、日本はとっくに誰もが幸せになっているんじゃないか? でもそうじゃない。 世の中たくさん悲しい事が起きている。 「信仰は勝利」という賛美歌にある通り、行いだけで物事を見ていたら目に見えない物(存在)を認めることが出来るだろうか? まだ目に見えない明日に希望を持つこともまた明日への信仰で、実は何か違う信仰を必要としている人間たちの生まれつきの習性ではないか。
人間は完璧な善ではないし、みんな同じでもない。 だから社会は集団生活に支障がないようにルールや制限を設ける。 人は無意識にルールによって支配されることに同調しているにもかかわらず、このただ一人の神の支配を拒む。 クリスチャンとは、不完全なこの人間がその不完善さを認め、だから努力しても埋められない自分の不完全さ(聖書では罪と言う)のためにその負い目を担ってくれる人を必要だと認め、それがイエス・キリストにしかできないから彼を受け入れ、彼の故に神の子供とされた人たちのこと。それだけのことであって、完璧な「良い人」=クリスチャンではない。 受け入れたから、だからこの神様と結ぶ一方通行じゃない関係があるから神様が言う事に従いたい、自分のためではなく神様のために生きたいと思うようになる。 それが信仰の成長というものであって、そしてその成長の速度は個々みんな違う。
聖書を理解するのは難しい。それは当たり前なのだ。 聖書は神様の言葉だからだ。 私たち人間は、人間同士でさえ理解に苦しむ時が多いのに、なぜ 聖書が理解できないと(できるまでは)、クリスチャンになれないと思うのか。 相手を完全に理解するまで友達や恋人になることを待っていたら人生何年あっても足りはしない。 他人を理解することは不可能である人間が、神様をすべて理解することは不可能だ。 でも神様は私たちにわかっていてほしいことは明確に聖書に記している、それは罪の始まり、イエス・キリストの愛と死、そして復活。
神様を信じてみることと、ある人と結婚することとその違いに大差がないと私は思う。
と書いてはいるものの、自分がクリスチャンでなかった時に通っていた教会の人に、「私は聖書もまだよくわからないので、まだまだクリスチャンにはなれませんよ~」と言ったことがある。 その時はクリスチャンとは何て完璧で良い人たちなんだろうと思っていたからだ。 そしてクリスチャンになることが何か資格のような類のものに思われて、なんだかそれがゴール地点であるかのように思えた。 だからそんなことを言ったんだろう。 教会で会う人たちがみんなそのゴールを通過して余裕があるように見えていたのだ。 でも、聖書の内容など10分の1も理解しないある日、私はクリスチャンになってしまった。 まさにLeap of Faith(理屈抜きで信じてみること)。 神様を信じてみたかった、だから洗礼を受けた。 自分が完璧でないことくらいずいぶん前からわかっていた。 だから私はイエス様を受け入れたのだ。
しかしクリスチャンとして生きることがどういうことなのかを理解し出したのは、洗礼を受けてから1年以上たってからだと思う。 「氷点」や「塩狩峠」で有名な三浦綾子さんがこんなことを書いていた。 「クリスチャンとなり神の光の中を歩みだし、今まで暗闇の中で歩いていて見えなかった自分自身と真っ向から向き合わなくてはいけなくなった」と。 まさに私もそんな感じの体験をした。 頭で理解していた「罪」(自分の自己中心の性質)というものがいろんな形で自分の中に潜んでいることをいやでも分からされる。 私が知らず知らずに求めていた人生の説明書は聖書だった。 聖書という地図を片手に、スタート地点から数歩歩き出したに過ぎないことをある時思い知った。 そして今もゴールに向かって歩んでいる真っ最中だ。
「おまえももう少し大人になれば、人生の何たるかがわかるようになる」とか、「あなたも親になれば、お母さんがどうして今こう言わなくちゃいけないのかわかるわ」なんて親や年配の人に言われたことがあるだろうか。 言われたことがなくても、年を取るごとに子供の時にはわからなかったたくさんのことがわかり、理解できるようになるだろう。
神様とはある意味父のよう。 親のような存在なのだ。 私たちの信仰の成長に応じて、神様は私たちにその時わかっていてほしいことを聖書を通して、毎日を通してその都度教えてくれる。 それが私たちの成長。 聖書を学問のようにどんなに勉強しようとも一般知識として読書しても、イエス様を受け入れ一歩踏み出さない限り結局は何もわからない。信仰なしに成長はないからだ。
娘が1歳になるかならないかの時、よたよたと歩き始めキッチンの引き出しの開け閉めをして遊んでいたことがあった。引き出しを閉める時に指を挟めないようなんどか注意をしてしばらく見ていた。 するとやはり挟めて泣いた。その時私はただ黙って見ていた。 泣きやんだ娘はまた引き出しで遊び出したがもう指を引き出しに挟むことはなかった。
神様は時々自分が一番つらいと思う時にいなくなってしまったような気がする。 でもそんな時こそ神様は私に何かを学んでほしくてじっと見守ってくれているんだとわかるようになった。 アーロンのHIV騒ぎの時に特にそう思った。忍耐して待つこと、今できることをやること、希望を持つこと、そして祈ること。
私は12歳のクリスチャン。 まだまだ若く、人生経験の浅い生傷の耐えない子供だ。転んで、失敗して、そして学んで神様を仰いで起き上がるだけ。聖書を道しるべに自分がわかる範囲で受け入れ、前進するだけ。わからない事だらけだけど、わからないことは先輩に聞き、日々聖書を学び、知っていることは知らない人に伝えたい。完璧な人間でも母でもない私は、娘を全知全能でただ一人の神に導きたいのだ。 そして祈る。
6月始めの水曜夜の聖書クラスで、うちの教会の牧師のトニーがレッスンをリードしてくれた。 ある無宗教者かアンチキリスト者かのブログをトニーが読んでいて、このブログの著者は「キリスト教者はクレイジーだ」とか「聖書を信じるなんてナンセンス」だと非難していたそうだ。 どうして信じないか、どうしてそう思うかという著者のTheoryは読んでいてとても内容が薄く、説得力があるものではなかったそうだが、明確な理由なしでキリスト教を批判する人は50年前と比べてもかなり増えている、と言われている。 世の中が「我よければすべてよし」的な風潮に動いているからかもしれない。 そんな世の中でどう伝導していくべきなのか、クリスチャンとしてどうあるべきかということを話し合った。 そして14年前、創世記の話を大真面目に本当だ、と力説されて一笑に付した自分を思い出した。 高校生だった時、初めて聖書というもの自体に触れた。 受講費500円でネイティブと英会話ができると聞き、こんないい話はないと思って教会に行き始めた高校2年の秋、私の先生となったクリスティーナがどのようにこの世が創られたのか、最初の人間アダムからイブが作られたとか言われて、自分もまた「この人たちはこんな科学的根拠のないものを大真面目に信じているのか…」とショックに思い(その時は知らなかったけど、聖書は科学的にもたくさんの裏づけがある) 、またキリスト教は理解できない…と思ったものだった。
「私はキリスト教は必要ない」と言う人は、結局他の何のどの宗教に対しても必要ないと言っているような気がする。 「神」という自分以外の存在に自分をコントロールされたくないと漠然と思うのかもしれない。 誰かからいつも指図されているような気がするのかもしれないし、人は他人からでも命令されることは基本嫌いなものだから。 自分をコントロールするのは自分でいたいと思うのは人間の本質だ。
日本では多神教崇拝が一般的だが、季節ごとの行事等をちゃんと行い、その時々に違う神仏に拝んでもその神仏たちと人間との関係は薄いな、と思ってしまう。その関係がどうも一方通行のように思えてならない。 これは私がまだ聖書をしらなかった時から思っていたことだ。 何か人間にとって都合の良い感じがするのだ。 何か願う時だけ神様に祈り、叶っても叶わなくてももともと大した思いがその神にあるわけではないので、感謝も落胆もない。 キリスト教の神のように私たちへ聖書を通して事細かく人間の生きる目的、望ましい生き方そのものを語りかけてこないから。 いや、仮に日本の神々たちがキリスト教の神のようだったとしても、少なくとも日本の一般家庭では自分が拝む対象をもっとよく知ろうだとか、子供になぜこの神仏を崇拝するのか(崇拝ではなくとりあえず拝むのか)という深い教育はなされない。
喜んで正月等にお参りに行くのは、そのムードに呑まれて?習慣で?みんなが行くから?本当は恐れから? お参りに行かないよりは行っておいた方が良いから? 結局はそうなると神様に敬意を示すためではなく、護身のためということになるのか?
一般的な日本人の感覚だと、どの神に祈っても同じだから(ご利益の話は別として)、正月は神社で、又は初日の出に拝み、盆は先祖に拝み、厄除けにまたどこかの神社に拝みに行き、小さな1年有効の神様を買う。子供が生まれたら神社へお宮参りに行き、結婚式はキリスト教式、死ぬ時は仏教式となんでもあり。 でもここにキリスト教の神を入れるのはひどく間違っているし、ほとほとおかしい。
なぜならキリスト教の神は、偶像崇拝や多神教崇拝を認めないからだ。ご利益があればどこへでも行ってその神様とやらを拝む人間が、結婚式のムードつくりのためにキリスト教式の式をあげようとしたとろこで、この本物の神はその人たちに祝福をあげたくてもできないのだ。 そして当の人間はそんなことどうでもいいと思っているし、たぶん何も深く考えていない。
日本で言う宗教行事や習慣を、ただ何も考えずそれだけやっていて幸せになれるのだとしたら、信仰なしにその行動は意味を成すのだろうか。「やることに意義がある」と言う人がいたらそれはただの自己満足だ。 そんな態度で拝まれた神様方が喜ぶのだとしたら、日本はとっくに誰もが幸せになっているんじゃないか? でもそうじゃない。 世の中たくさん悲しい事が起きている。 「信仰は勝利」という賛美歌にある通り、行いだけで物事を見ていたら目に見えない物(存在)を認めることが出来るだろうか? まだ目に見えない明日に希望を持つこともまた明日への信仰で、実は何か違う信仰を必要としている人間たちの生まれつきの習性ではないか。
人間は完璧な善ではないし、みんな同じでもない。 だから社会は集団生活に支障がないようにルールや制限を設ける。 人は無意識にルールによって支配されることに同調しているにもかかわらず、このただ一人の神の支配を拒む。 クリスチャンとは、不完全なこの人間がその不完善さを認め、だから努力しても埋められない自分の不完全さ(聖書では罪と言う)のためにその負い目を担ってくれる人を必要だと認め、それがイエス・キリストにしかできないから彼を受け入れ、彼の故に神の子供とされた人たちのこと。それだけのことであって、完璧な「良い人」=クリスチャンではない。 受け入れたから、だからこの神様と結ぶ一方通行じゃない関係があるから神様が言う事に従いたい、自分のためではなく神様のために生きたいと思うようになる。 それが信仰の成長というものであって、そしてその成長の速度は個々みんな違う。
聖書を理解するのは難しい。それは当たり前なのだ。 聖書は神様の言葉だからだ。 私たち人間は、人間同士でさえ理解に苦しむ時が多いのに、なぜ 聖書が理解できないと(できるまでは)、クリスチャンになれないと思うのか。 相手を完全に理解するまで友達や恋人になることを待っていたら人生何年あっても足りはしない。 他人を理解することは不可能である人間が、神様をすべて理解することは不可能だ。 でも神様は私たちにわかっていてほしいことは明確に聖書に記している、それは罪の始まり、イエス・キリストの愛と死、そして復活。
神様を信じてみることと、ある人と結婚することとその違いに大差がないと私は思う。
と書いてはいるものの、自分がクリスチャンでなかった時に通っていた教会の人に、「私は聖書もまだよくわからないので、まだまだクリスチャンにはなれませんよ~」と言ったことがある。 その時はクリスチャンとは何て完璧で良い人たちなんだろうと思っていたからだ。 そしてクリスチャンになることが何か資格のような類のものに思われて、なんだかそれがゴール地点であるかのように思えた。 だからそんなことを言ったんだろう。 教会で会う人たちがみんなそのゴールを通過して余裕があるように見えていたのだ。 でも、聖書の内容など10分の1も理解しないある日、私はクリスチャンになってしまった。 まさにLeap of Faith(理屈抜きで信じてみること)。 神様を信じてみたかった、だから洗礼を受けた。 自分が完璧でないことくらいずいぶん前からわかっていた。 だから私はイエス様を受け入れたのだ。
しかしクリスチャンとして生きることがどういうことなのかを理解し出したのは、洗礼を受けてから1年以上たってからだと思う。 「氷点」や「塩狩峠」で有名な三浦綾子さんがこんなことを書いていた。 「クリスチャンとなり神の光の中を歩みだし、今まで暗闇の中で歩いていて見えなかった自分自身と真っ向から向き合わなくてはいけなくなった」と。 まさに私もそんな感じの体験をした。 頭で理解していた「罪」(自分の自己中心の性質)というものがいろんな形で自分の中に潜んでいることをいやでも分からされる。 私が知らず知らずに求めていた人生の説明書は聖書だった。 聖書という地図を片手に、スタート地点から数歩歩き出したに過ぎないことをある時思い知った。 そして今もゴールに向かって歩んでいる真っ最中だ。
「おまえももう少し大人になれば、人生の何たるかがわかるようになる」とか、「あなたも親になれば、お母さんがどうして今こう言わなくちゃいけないのかわかるわ」なんて親や年配の人に言われたことがあるだろうか。 言われたことがなくても、年を取るごとに子供の時にはわからなかったたくさんのことがわかり、理解できるようになるだろう。
神様とはある意味父のよう。 親のような存在なのだ。 私たちの信仰の成長に応じて、神様は私たちにその時わかっていてほしいことを聖書を通して、毎日を通してその都度教えてくれる。 それが私たちの成長。 聖書を学問のようにどんなに勉強しようとも一般知識として読書しても、イエス様を受け入れ一歩踏み出さない限り結局は何もわからない。信仰なしに成長はないからだ。
娘が1歳になるかならないかの時、よたよたと歩き始めキッチンの引き出しの開け閉めをして遊んでいたことがあった。引き出しを閉める時に指を挟めないようなんどか注意をしてしばらく見ていた。 するとやはり挟めて泣いた。その時私はただ黙って見ていた。 泣きやんだ娘はまた引き出しで遊び出したがもう指を引き出しに挟むことはなかった。
神様は時々自分が一番つらいと思う時にいなくなってしまったような気がする。 でもそんな時こそ神様は私に何かを学んでほしくてじっと見守ってくれているんだとわかるようになった。 アーロンのHIV騒ぎの時に特にそう思った。忍耐して待つこと、今できることをやること、希望を持つこと、そして祈ること。
私は12歳のクリスチャン。 まだまだ若く、人生経験の浅い生傷の耐えない子供だ。転んで、失敗して、そして学んで神様を仰いで起き上がるだけ。聖書を道しるべに自分がわかる範囲で受け入れ、前進するだけ。わからない事だらけだけど、わからないことは先輩に聞き、日々聖書を学び、知っていることは知らない人に伝えたい。完璧な人間でも母でもない私は、娘を全知全能でただ一人の神に導きたいのだ。 そして祈る。
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